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世間から何故だか過小評価されている・PENICILLINとSIAM SHADE

音楽

二組とも演奏技術は素晴らしく高いし、良い歌も沢山あります。けど、何故ポッと出て消えたのかわかりません。ライブ言った人は、技術力について凄いと言いますが、何故それほど世間から認知されないのでしょう。

SIAM SHADEとは?簡単に(ウィキペディア)

バンド名は「密接した陰」という意味の英語に由来する。

リーダーはNATINである。理由のひとつとして、インディーズ時代、他のメンバーの多くが度々電話を止められていたのに対し、NATINだけは実家住まいだったため連絡先として安定していたこともあり、必要な情報や連絡事項を集結させやすかった。故にメンバーの情報などを把握していたため。

初期は「ロック界のザ・ドリフターズ」を自称するほどコメディに走っており、ツアーごとにショートコントムービーを作っていた(ビデオ「SIAM SHADE」に、その一部が見られる)。また、エンドロール後に2ndシングル「TIME’S」のパロディ版が収録されている)なお、所属していた事務所アミューズの俳優陣がゲスト出演しており、後にNATINと結婚する伊藤かずえも出演している。

インディーズ時代は、LUNA-SEAも幾たびもライブを行っていた町田PLAY HOUSEを拠点としていたため、LUNA SEAの後輩・弟分バンドとしても知られるところである。特に、栄喜はLUNA SEAのボーカル河村隆一を尊敬していると公言して憚らない。淳士はLUNA SEAのドラマー・真矢に憧れてドラムを始めたという。一時期LUNA SEAのローディーをしていたために師弟関係でもある。LUNA SEAの2ndアルバム「IMAGE」のスタッフの中に、ローディーとして、淳士の名前が記されている(ただし、“淳士”ではなく“JYUNZI”と表記されている。また、LUNA SEAのインディーズ時代のライブビデオ「IMAGE OR REAL」において、真矢のアップの場面で淳士の頭が映る箇所が確認できる)。

栄喜とNATINは共にGrace ModE(LUNA SEAのSUGIZOと真矢が過去に在籍していたバンドPINOCCHIOの元ボーカリストtezyaが在
籍。)のローディーをやっていたことがある。

1994年頃、LUNA SEAのRYUICHI(河村隆一)がDJを務めていた『MIDNIGHT ROCK CITY』(FM NACK5でオンエアされていたラジオ番組。月-金曜日25時-27時でLUNA SEAは木曜日担当。後にSIAM SHADEも火曜日担当になるが、半年で降板している)の『インディーズ・ナイト』というコーナーにゲスト出演。デモテープの曲をかけてもらって以降、口コミでライブでの動員数が増えた。

メンバー全員が格闘技好き、さらには全員何らかのスポーツを好んでいたことからライブでのMCやライブのノリはスポコン調であった。
栄喜の高校時代の先輩に吉田秀彦がおり、その縁もあって、面倒見の良い吉田にバンドごと何かと世話になっていたという。殆どのアルバムの「Special thanks」芳名欄に彼の名前が載っている。ちなみに解散後、彼の紹介でJ-ROCKの社長を紹介してもらいACIDやソロ活動をしている。

広島のライブハウスでライブをしたときに観客の重みで床が抜けたことがあり、後に弦楽隊3人が雑誌「BANDやろうぜ」で「バンドでのエピソードは?」と聞かれたときに3人そろってその事件を答えていた。

2000年当時、日本人の大規模公演が解禁されたばかりの韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに日本のロックバンドとして初めて参加。多くの韓国メディアから取材を受けた。

栄喜は、1996年までは“CHACK”と名乗っていた。由来は、先輩から「好きなミュージシャンは誰だ?」と聞かれ「セバスチャン・バック(元スキッド・ロウ)です」と答えところ「お前はこれからイマスチャン・チャックだ」と返されたことから来ている。

中村新一(元チーフマネージャー)追悼の意を込め、2007年11月18日、日本武道館にて一夜限りの再結成ライブを行なった。なお、翌19日は中村の誕生日であり、存命であれば50歳であった。ライブ終了後メンバーと極少数のスタッフで中村への追悼の意をこめた打ち上げを行った。

理由はなんだろう?

PENICILLINは4人→3人になったと言いましたが、その事が原因ではありません。ロマンスは確かに売れました。その後も、トップ10にランクインしていましたが、なんか見かけなくなって、入院中に解散したパターンかな?とも思いました。ですが、活動は続けていました。

SIAM SHADEは、1995年にメジャーデビューしたあとに、2002年に解散しています。その後は2007年、2011年、2013年、2015~2016年と一時的な再結成を行っていますが、それほど大きい話題にはなっていません。

あまりメディアで見かけなくなった時期を考えると、答えが出てくるかもしれません。「グレイシャルLOVE」は『COUNT DOWN TV』1998年5月のエンディング曲だったし。『ミュージックステーション』で披露されたので違うでしょう。

「Dreams」はフジテレビ『プロ野球ニュース』のメインテーマ曲(1998年4月~9月)だったのですが、野球の番組を見ない人には、わからないでしょう。この辺から、失速したんでしょうか?

この後にリリースした「NEVER END」はロックが好きなら、カッコいい曲ですが、この頃はロックそのものが流行らなくなっていましたからね。この曲辺りから、露出しなくなった気がします。

PENICILLINの場合「Butterfly」と「NICE IN LIP+L」は曲調が違い過ぎるので、知っている人はどうも思いませんが、「Butterfly」あたりからのファンの人は、そらイメージがかわります。

さらに「理想の舌」はこれまた曲調が違います。どういった戦略なのかわかりませんが、「ロマンス」や「make love」と比べるとねっとりし過ぎています。

そもそも、ヴィジュアル系バンドのブームも終わりかけていたので、一歩間違えれば、メディアの露出は少なくなります。一歩間違えたんですね。そこから巻き返すのは、至難の業ですが、巻き返す必要もないみたいです。二組ともライブとかフツーにお客さんきますからね。

つまりは世間の関心が薄れていったので、メディアに出なくなった。それが過小評価に繋がったんですかね?

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